参政党に賛成?非公認ブログ

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文字起こし:一連の騒動について参政党からのメッセージです。

2023年11月22日、参政党公式チャンネルにアップされた動画を、取り急ぎ文字起こししました。
動画視聴が困難な方や、内容の確認や周知に利用していただければと思います。
内容の真偽や整合性、是非等については、問合せいただいても回答できませんので、ご了承ください。

参政党【公式】チャンネル
一連の騒動について参政党からのメッセージです。

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みなさん、こんにちは、神谷宗幣です。

本日は、昼間に参政党の記者会見をおこないまして、そちらの方でも、武田邦彦氏に関しての、党からの正式な対応というものを発表しました。

ただ、記者会見の場で詳しい事実関係を説明するには時間がありませんでしたので、今日は時系列に沿って、お話しをしていきたいというふうに思います。

こういったことを公表するということは、ほんとに心苦しいんですけれども、11月13日に他党の党代表のチャンネルに出て、いろいろと武田氏の方から参政党のことについて話しがありましたので、それに関して、ですね。

本来、この党内部のことってのは外部に出すことではないですし、関係者の名誉にも関わることなので、公開は慎重にというように考えておりましたが、武田氏の話しの中に不正確な情報、または憶測のようなこともお話しされましたので、今日は我々側のとらえている事実に関して、時系列でお話ししていきたいと思います。

内容もかなり長いですし、不正確になると問題がありますので、今日は紙を読みながらお話しをしたいと思います。

まず、私が少し違和感を感じ始めたのは、今年の5月6日であります。
5月6日に武田氏の方から電話がありまして、「中部地方の政治団体(以下G党)との連携について、先方の代表の秘書の方とお話しをしてほしい」というふうに要望がありました。

それで私は、武田先生の要望ですので、5月11日に、その秘書の方と1回目の懇談をおこないました。

そのときは、「G党との選挙協力というものはもちろん可能ですが、そのG党のメンバーの方に参政党内に入ってきてもらって、何か一緒にやるということはできない」というふうな形でお伝えをしました。

「政策的なことは、合意ができるものに関しては合意しましょう」と、そういったことも話しました。

それができましたので、私、5月20日の日に、電話ではいけないと思いまして、武田先生にお会いしに行き、「選挙協力を進める方向で進めたい」と。
「ついては、武田先生には、衆議院の比例ブロックで、東海地方から出馬してもらいたい」ということを伝えて、了承していただきました。

ここの辺りが、少し感情的なものになられるのかなと思いますが、私、元々は衆議院選挙のタイミングを見て、タイミングが合えば私自身が参議院を辞職し、衆議院に出るという考えを持っておりまして、そうなると次点での順位は武田先生になりますので、自動的に武田先生が参議院に移る、ということを考えておりましたし、その旨、武田先生にも伝えておりました。

が、私が「参議院を辞めないでおこう」と判断したのは、この5月のやりとりなんですね。

万が一、こういった他党との連携を、先生が参議院(議員)になられて、積極的に進められると、党の形が大きく崩れるということになるからです。

参議院は1議席しかありませんので、そこで話しがこじれて、武田氏が参議院(議員)になった状況で、他の党のほうに抜けて行かれるとか、もしくは国会議員としての権限を使って他の党のかたを参政党に招き入れるというふうな状態になると、今の体制が維持できなくなるからですね。

そのときに、私自身の役職等が、例えば今、事務局長をやっているわけですけれども、これが外されてしまうと、非常に参政党にとってはリスクになると考えたわけです。

政治というのは戦いですので、義理人情を超えて冷静に判断しなければいけないということで、この段階では、あくまで私の杞憂であってほしいということでありましたが、リスクを取るわけにいかないな、というふうに強く感じたわけです。

なぜ私がそのときにそういうふうに感じたかといいますと、かつて私、政治団体を名前ごと持っていかれたこともありましたし、自分がやっていた団体をクーデターのような形で乗っ取られかけたこともありましたので、そういったリスクを過去に経験してますので、そういったリスクはなくしておきたいというふうに考えたわけです。

5月20日の時点では、そういうことでした。

そして、5月25日に再度、G党の代表の秘書のかたと懇談をさせていただきました。

このときには選挙資金の話しも出たので、「一緒にやって、比例選挙で名簿を貸すことは可能ですが、G党のかたが参政党の名簿から立候補したとしても、選挙資金は参政党は出せない」というふうに、明確にお伝えしました。

先方は、「聞いていた話しと違う」という感じでしたけれども、私はここではっきり述べましたのは、「参政党員のお金は参政党員の候補者に使うべきで、他党から入ってきたかたには使えない」ということを申し上げたことと、「参政党の人事権・予算権は、党の乗っ取りなどを防止するために、結党の当初より、事務局長である私が権限を持っていて、これは党の中の合意で決まるものではないので、選挙協力が実現したとしても、G党の方々の意見は人事権・予算権には反映されません」ということも、はっきりとお伝えをしました。

これを伝えたあと、G党側から選挙協力の話しが、「また連絡します」ということだったんですけれども、結局、この話し合いは立ち消えになってしまいました。

6月に入りまして、この頃から保守系の言論人のかた(以下H氏)らが新党の結党を考えているという話しが、報道でもちらほら伝え始められて、そのH氏がG党のかたとも話しをしているというふうな噂も聞かれるようになりました。

それで、この6月くらいから私が懸念していたことは、実は実際あったのかもしれない、というふうに警戒を強めたわけであります。

6月10日には、先ほどのH氏がYouTubeで新党立ち上げの宣言をされましたので、このときには武田氏もそちらのほうと何かの話しを進められているのではないかというふうな懸念は持ったんですが、人間関係がありましたので、そこまでのことはないだろう、というふうに考えたわけです。

が、数日して話しが入ってきたのは、6月11日、(H氏の)結党宣言の翌日に、武田先生が愛知県や岐阜県といった東海地方の支部の役員を自宅に呼んで、「G党との協力っていうのは決定事項である」というふうに宣言をされたわけです。

それを聞いた役員のひとりが、そういったことを私は伝達してませんでしたので、「協議中だというふうに聞いている」と意見を口にしたところ、「そんなことはないんだ」というふうに、武田先生から叱責を受けたというふうなことを聞きました。

また、(6月)13日には、武田先生がG党と話しをして、地元の新聞を呼んで懇談の場をつくろうとしている、ということです。

「G党と参政党で協力関係を築く」というふうな情報を新聞社に伝える、というふうなことだと判断したので、私も武田先生に電話をして、「まだ具体的なことは何も決まっていないので、それは控えてください」というふうにお願いした経緯があります。

この頃から、「本当に大丈夫なのか」というふうな懸念は、強く持ち始めたわけです。

こうした中で、6月23日、電話した10日後ぐらいに、ゴレンジャーと言われるメンバー、私、松田さん、吉野さん、赤尾さん、武田さんといった5人で会議をすることになりました。

衆議院の解散が言われてた時期ですので、私としては今後の方針等々、そういったことを話し合うんだと思っていまして、私のほうからも4名に「衆議院のほうに立候補してもらいたい」というふうな意向を先に伝えたんですが、そのあと、武田氏のほうから、党の運営について、「独裁的なやり方がまかり通って、党員から不安ばかりが漏れ聞こえる」と。

「あと、お金の使い方がものすごく悪い」と。
で、「まったく党員の声を聞いていない」というふうな形で、かなり強く叱責をされました。

そして、私中心の事務局長の運営ではまずいので、「ゴレンジャー中心の党運営にするように」というふうに、強く迫られました。

私もまったく寝耳に水の話しだったので、事前にそんなことは何も聞いていなかったので、そういった剣幕で押されるような形で、「不正がある」ということも言われたので、「そんなことありませんから、中に入って見てもらえば結構です」という形で、「じゃ、ボード(メンバー)に参画してもらったらいいんじゃないですか」というふうに、売り言葉に買い言葉のような形で一旦お答えした、というのは事実です。

がしかし、冷静になって、規約を確認すると、ボードメンバーの変更っていうのは当然私の一存ではできないわけで、ボード会議にかけて、現法のメンバーの承認が必要であるということでした。

これは、私が勝手に決められるとなると、まさに独裁というふうになってしまうので、「6月28日を設定して臨時のボード会議を開きましょう」ということで、◯◯(?)の方にも参加していただいて、会議を持ちました。

このときに、どこがどうおかしいのかとか、具体的に何のことをおっしゃってるのか、っていうような理由は明確に示されずに、「とにかく運営が悪い、運営が悪い」ということで、「もう全員辞めるべきだ」と。
ボードメンバーも、党の部長クラスの幹部も、本部のスタッフに、「お前は辞めるのか辞めないのか」というようなことを(武田)先生が迫っていくような、そんな状況ができました。

当然、スタッフの側もボードメンバーも反論して、みなさん、自分の考えをそれぞれ述べられた、ということです。

ただ、このときは「辞めろ」と言われても、合理的な理由が示されないので、とにかく「運営がおかしい、おかしい」ということで、具体的な事実の提示はありませんでしたので、結局、ボードの交代に関しては否決という形になり、武田先生は大変立腹されていた、ということです。

このあとぐらいから、かねてから言っております、某秘書のかた、もう言いましたので隠してもしょうがない、吉野氏の秘書のかたが、多数の支部党員に、こういった(6月)28日(23日?)の会議の情報ですとか、それに正確なものではなくて偽の情報を加えて、メールや電話で伝えていくというようなことを始められた、ということが判明しています。

これは、複数の党員にそういったメールのデータを提出してもらって、それをしっかりと調書の形でまとめて、証拠としてちゃんとありますので、これで誰かを貶めようという意図ではありません、事実としてあったことです。

そしてこの28日の会議のあと、7月3日、武田先生のほうから「衆議院の東海ブロックの立候補はやめる」というふうに連絡があった、と思ったんですが、また再び7月7日には「選挙に出ないとは私は言っていない」「小選挙区だったら出る」というふうに話しがあって、そのあと、「それだったら小選挙区でお願いします」ということで、私も党員を通じて伝えたんですが、結局、「やっぱり出ない」ということでした。

この辺のところで、先生の意見がコロコロ変わるので、支部の役員が先生に電話で「本意はどういうことですか」ということを確認したところ、「G党のK氏を参政党に入れて共同代表にしたらいいと思う」「神谷の言ってることとやってることが違う」「それを正すまでは、私が元々言ってたとおりに連携してやるまでは出ない」ということだったと、理解をしています。
そういった電話のやりとりがあった、ということですね。

同じような話しなんですが、7月11日にも、党員から、「G党の代表のかたと組むべきであって、一旦そのかたを代表にして、そのかたは年齢的にはもう、衆議院あと1回くらいしかできないから、1回だけやってもらって、またそのあとは神谷体制に戻せばいいんだ」というふうな話しがあった、ということもありました。

この辺りで、私が5月に感じていた心配が当たっていたのかな、というふうに思うようになりました。

武田先生は、「K氏を参政党に入れて、運営の一端を担わせたい」ということだったと思うんですが、そんなことをしますと参政党の形は大きく崩れてしまいますし、「新しくできる党と合流だ」という形に持っていかれますと、これまで参政党をつくりあげてきたものが壊れてしまいますので、そこは何としても止めなければいけない、というふうに覚悟を決めたわけであります。

8月に入りまして、これも後ほど明確に判明するんですが、某秘書のかたが、武田先生が8月23日に東京で講演された音声データを、なぜか党員のみなさんに多数送付されていた、ということがわかりました。

その中での内容は、「参政党のお金を狙ってくる奴が山ほどいるんだ」「党員の積み立てたお金の半分ぐらいが、そういう人たちに流れている。そういう人たちを個別に追い出す作戦を練って、支部の方々と協力してやっていこうと思う」といったことを発言されているのが確認されました。

文脈から、「党の執行部が党員のお金を不正に使いこんでいる」という糾弾だというふうに、我々は理解をしました。

このあとも、全国いろんな支部から、同種の発言を武田氏がしているという報告が入ってまいりました。

そして、8月18日、武田先生の秘書を通じて、「参政党のアドバイザーを辞任する」

「ただ、依頼されていた講演は受けるので、アドバイザーの肩書きを外してほしいんだ」ということの要望がありました。

武田氏のアドバイザー辞任に関しては、他のゴレンジャーのメンバーからも、「これはいつ発表するのか」ということを、私に問合せもいただいていたので、武田先生は、このことは本部のメンバー以外にも通達されていた、ということを確認しています。

こういった中で、8月30日のボード会議が開催されることになります。

元々は、7月も武田氏、それから吉野氏、参加されていましたので、(8月も)参加されるのかなと思っていましたが、直前に、来れないということを聞きました。

その中で、私自身はこのとき何を考えていたかというと、5月からの流れ、それから他党の動き、それから武田先生の言動、秘書のかたのメールの送付、そういったことを総合的に分析して、参政党に対して大規模な分断と切り崩しがおこなわれている、というふうに考えたわけです。

で、今の体制だとほんとにバラバラにされてしまう可能性があるので、私が代表になって党を掌握し、この問題を解決しなければいけない、というふうに思いまして、代表の交代をお願いした、とそういった経緯になります。

そして、この代表の交代に至った翌日の9月1日に、保守系の新党がX(Twitter)の公式アカウントを開設して、総務省に党の設立を出す、ということになり、そして結党日が10月17日になるんだ、ということでした。

まあ、もうこの辺りで、私のいろんな懸念がどんどんと現実化してくるわけです。

それでも私は、「武田先生のおっしゃっていることは誤解だ」とずっと思っていましたので、それを解消したくて、なかなか、私がお電話してもすごく怒っておられたので、支部の党員を通じて「話し合いの場を設けたい」とお願いしたんですが、まず9月8日の段階で「今は会わない」というふうな形で拒否をされました。

けれども、やはり状況はどんどんと悪くなりますので放っておくと、私、危機感を感じまして、再度お願いしましたところ、「10月5日に話し合いましょう」ということだったので、そこでしっかりと誤解を解いて、なぜそういうことをおっしゃるのかという真意を聞きたいというふうに思ったわけですけども、10月1日に武田先生のほうから「話し合いをキャンセルする」ということの連絡がありました。

そして、10月8日には愛知県の政治系の集まりで、武田先生のほうから「神谷は嘘つきだ」「神谷は4億円を使い込んでいる」といったような発言があったこと再度聞きまして、ここまで来ると誤解というレベルではなくて、意図的にそういった情報を拡散されようとしているんだな、というふうに、私も考えを変えるに至りました。

そして、10月17日がやってきて、H氏中心に新党の結党宣言がおこなわれて、自ら代表に就任される、と。

そして、なんと、我々が話し合いをしていたG党のK氏も共同代表に就任されるということで、両党が特別友党関係を結ばれた、という報道を目にしました。

こういった状況になりましたので、10月23日、参政党は臨時支部長会議というものを党内で開催し、すべての支部長さんに対して、「不正確な情報が意図的に流し込まれている」「今の事態は、どこからか大規模に仕掛けられている情報戦のような状況である」と。

「今後は、今まではなるべく伏せてたんですけども、これから我々が取らなければいけないような法的対応に支障のない範囲で、把握している事実をもう党員さんに伝えます」ということを宣言し、このとき初めて、「武田氏が講演会でこんな内容の話しをしている」「吉野さんの秘書が、こういった内容のメールを全国の党員に送っているんだ」ということをお伝えしたと、そういう経緯でございます。

この(10月)23日の会議は部内会議でしたので、当然会議は部内限り、といったことでみなさんにお伝えしていたんですけれども、翌日に、この会議に参加されていない吉野氏が、「自分の秘書がスパイだと言われているんだ」というふうなことを、自らSNSに投稿されまして、我々は(10月)23日の会議では、どなたの秘書とかそういったことは特定は一切してなかったわけですけれども、ご自身でそういった投稿をされてしまった、ということであります。

私としてもこの件は、確実に吉野氏のところに、内部情報を歪んだ形で伝えている人がいる、ということの揺るぎない証拠である、ということでしたので、実は吉野氏にはアポイント入れておりまして、そこで説明を求めようというふうに思っていたんですが、そのアポイントもキャンセルをされまして、会えないまま、「アドバイザーを辞める、党を離れる」ということになりました。

それで、10月23日からすると6日後になったわけですけれども、10月29日に、武田先生がYouTubeで「参政党の執行部に裏切られましてね。ひどいことになってましてね。みなさんの誠意で元に戻せると思いますけどね」というふうな短い動画を投稿される、ということになります。

おそらく、武田氏は臨時支部長会議の内容を、誰かが内容をリークして、歪曲されて流し込まれたもの、というふうに聞いて反応したんだ、というふうに私は推察をいたしました。

そのまた数日後ですけども、11月3日、「参政党の事務方が、なんかとんでもないところに行ってしまった」「参政党は日本共産党の組織を目指すと言ってましたよ」「参政党の除名が、もうざーっと続いてるんです」「参政党事務局が、日本共産党の組織が理想だとか言ってね、ちょっと他の党に変わってもらったらいいんじゃないですか」といったことを発言された、ということを確認しています。


ちなみに、「日本共産党の組織を目指す」という言い方は、ほぼ私はしたことがなくて、

「参政党は党員中心の組織政党を目指す」

「意志決定のプロセスに党員に入ってもらう、という形にするんだ」

「そういった形で、議員だけでものごとが決まるということではなくて、党員や組織の声が反映されるという仕組みでいうと、公明党や共産党が少しそういう形になっているので、そこを少しイメージしてもらえばいいんじゃないか」

「ただ、我々は共産主義でもありませんし、何かの宗教団体がついているわけではありませんので、そこはまったく違う形での組織づくりをします」
ということなんですけども、共産党の部分だけを切り取って話された、ということですね。

こういったことの内容を、私はもうずいぶんと前からずーっと言ってることなので、多くの党員も聞かれてると思います。

なぜこの頃になって、切り取った拡散をされるのかということで、大変悲しく思ったということであります。

あと、細かいことですが、除名が続いてるということでしたけれども、参政党は国政政党になってから、除名処分を出したのは8名だけであります。
これも、まったく事実と違う、ということになります。

その後、11月9日も、武田先生のほうが動画を投稿されて、また、「参政党は共産党組織を目指している」という話しをされました。

この頃になると、事情を知っている党員の多くは、意図的に「共産党のような組織だ」というふうに言っているのは、保守的な考えを持った支援者を参政党から引きはがそうとしているのではないか、というような声も上がってくるようになりました。
私もそんな印象を持ちました。

そして、11月13日、武田先生は新党をつくられたH氏の個人チャンネルに出演し、あえて細かい内容は言いませんけども、「神谷にだまされた」「共産党の組織だ」といったことを一方的に発言され、広くYouTubeで拡散をされました。

そして、これまで、参政党にさまざまな妨害をしてきた勢力もこれに飛びついて、さらに話しを広げて拡散するような状況となり、結果、党全体、大半の党員、特に現場で頑張ってくれている党員の気持ちを踏みにじるものになった、ということです。

ずっと、軟着陸で問題解決できないかというふうに模索をしていたんですけども、もうこの動画によって、党員の気持ちもかなり傷つけられたということで、もうレッドラインを超えられてしまったな、というふうに判断したということになります。

以上が、5月に私が武田先生から要望を受けて、疑念を持ち、その後対応してきたことの事実、起こったことの事実であります。

最後に思いを述べさせていただければ、参政党が国政政党になったのは、去年の7月ですね。
組織もなんにもなかった頃に、10万人の党員とサポーターが集まり、党の中は大混乱でした。

私としては、それをなんとか収束させなければならないと思いまして、党本部にスタッフを集め、地方に組織をつくり、地方選挙を戦える状態をなんとかつくりつつ、国会などで質問を重ねて、また、声が上がっている解散選挙の資金と候補者を集めていた、という、そんな1年間でした。

松田さん・赤尾さんにはボードとして協力してやってもらいつつ、選挙の候補者であった武田さん・吉野さんには、党員にかなり無理をお願いして、かなり厚遇の講師料を払い、セミナーをやっていただいていた、という状況であります。

よく、「コミュニケーションがまったくなかった」とか、「まったく無視されていたんだ」というふうな声が流れていますけれども、それは正確ではありません。

金額の話しをするのはあれかもしれませんが、武田先生などには相当、党からお金も支払ってまして、1年間で1000万近い講師料が払われていることも確認をしていますので、「まったく何も待遇がなかった」ということは、事実とはかけ離れていると思っています。

私は、参政党の結成の声掛け人ですので、自分自身に、党を守って運営をしていく責任がある、というふうに思っています。

一方で、「選挙で協力していただいた4人にも、それぞれの立場で活躍してもらいたい」というふうな思いで、今年の6月まで党を運営してきたつもりです。

「コミュニケーションが十分だったのか」というふうに言われると、私にもその点は落ち度があったと思います。
忙しさにかまけていた部分があったと思います。

しかし、6月23日と28日の会合で、武田先生が、私や党のスタッフにかけられた言葉というものは、我々の信頼関係を大きく破壊するものだったというふうに思います。

私もぐっと我慢して、なぜこのように一方的に糾弾をされるのか、きっと誤解があるんだろうというふうにずっと思って、話し合いの場を設けたいと思っていたわけではありますけども、今この時点に立って一連の流れを振り返ると、これは内部の問題ということに留まらず、外部から何らかの力が働いていたんだ、というふうに判断せざるを得ないなというふうに思っています。

私自身は、この犯人探しをして誰かを糾弾する、というようなことは、したくもありませんし、参政党はそんなことに時間をかけている余裕もありません。

ただ、参政党をしっかり維持して、参政党をここまで一緒に大きくしてくれた党員のみなさんの気持ちには応えたい、ということを強く思っています。

党の理念や綱領を実現するために集まってくれた、日本人のための、日本人のプラットフォームとして、参政党を維持していきたい。
そういった思いで、今日、いろんな思いがありましたけれども、このような説明をさせていただくことにしました。

この間、「説明が十分でない」「情報を隠蔽している」というふうなご指摘も受けてきましたが、想像のレベルでは、我々はお話しをすることはできません。
誰かの名誉に関わることでもありますし、そして間違ったことで誰かの名誉を傷つけることもしたくなかったわけです。

少し、私の誤解する部分も今としてはあって、反省もあることはあります。
けれども、思いとしては、極力、状況を把握し、しっかりと証拠を集めてその上で判断したいと思い、このような時期まで、発表するということはしなかったわけであります。

なんとか、みなさんの不満とかを解消して、円満な形に持っていこうというふうに努めていたということだけは、ご理解いただきたいなと思います。

参政党の代表を、私、引き受けていますので、参政党で起こることの責任は、すべて私の問題だというふうに思っています。

ですから、自分の未熟さがいろんな問題を生むんだということで、反省もしておりますが、しかし、投げ出すわけにはいかない、という思いもありますので、未熟ながら、まだしばらく、参政党を引っ張っていきたいというふうに思いますので、引き続きのご支援、みなさんにお願いしたいと思っております。

今日、私からのメッセージは以上です。
かなり長い説明になりましたが、最後までご視聴いただき、ありがとうございます。